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フランソワ―・ラブレー大学名誉博士号

[2014.09.23]

フレンチシェフの三國清三氏の、3つのお祝いの為の会があり、出席して参りました。
今年で還暦をお迎えになられ
来年には、レストラン・オテル・ド・ミクニが創業30周年を迎えられること
そして、フランソワー・ラブレー大学から名誉博士号を授与されたことを
お祝いする会です。

三國氏は、北海度の田舎のご出身で、中学校を出て、集団就職で札幌の米屋さんへ就職し、
その後、札幌グランドホテルで下働きの後、帝国ホテルの皿洗いとなり、
20歳の時、当時帝国ホテルの村上総料理長の大抜擢による推薦で
(村上料理長は三國氏の努力と天性の才能を見抜いていたのでしょう)
スイスの日本大使館の料理長を任されることになり、スイスへ渡られたそうです。

20歳の若者は、大抜擢を受けたとは言え、大使館の料理を任されるほど、
十分な料理人修行をしてスイスへ渡ったわけではなかったそうです。

当時、スイス・ローザンヌ近郊のクリシエという小さな村に、
一世を風靡した「ジラルデ」という世界に名を馳せた名レストランがあり、
三國氏は、大使館が休みになる毎週末、大使館のあるジュネーブからクリシエまで通い
ジラルデで、無給で働いて、料理の腕を磨いたそうです。

当時、今ではスターシェフとなった料理人たちが、沢山ジラルデで修業をしていたそうです。
中でも、かのトロワグロの3代目、現在のオーナーシェフとなっているミシェル・トロワグロ氏も
ジラルデで修業をしていました。

三國氏は、毎週末、日本大使館のあったジュネーブから電車でローザンヌまで行き
ミシェルが車で駅まで三國氏を迎えに行き、若い未来のスターシェフは、
クリシエの村で共に修業時代を過ごしたそうです。

三國氏は日本大使館の料理長
ミシェル・トロワグロ氏は、父親にピエール・トロワグロ、叔父にジャン・トロワグロという
伝説の料理人を身近に二人も持つ料理界のサラブレッド、
周囲の風あたりは強く、いつも二人で怒られていたとか・・・

(みゆきクリニックのホームページのコラムに、
数十年後のグランシェフ というコラムがあります。
そこに登場するレストランTとは、レストラン・トロワグロのこと
AT君とは、ミシェル・トロワグロ氏のご長男のことです。)

無給で、毎日のように叱られ、蹴られ・・・・
しかし放り出すことなく、歯を食いしばって修業を続け、着実に技術を身に着けていったのでしょう。

中卒でも、自分の腕と努力だけを頼りに現在の地位を築いた三國氏
現在の夢は後輩に道を開くべく、沢山の料理人を育てることだそうです。
着実に、新しい道を切り開いていく開拓者精神に、頭が下がります。

私も負けてはいられません。
薬物治療中心のメンタル医療を、薬ではなく、本質的な改善を目指すものへと
パラダイム・シフトを起こすべく、頑張っていこうと、決意を新たに 勇気づけられました。



















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