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小此木啓吾先生の晩年

[2015.12.17]

2001年7月、フランスのニースで国際精神分析学会が開催され、小此木啓吾先生と一緒に出席しました。

小此木先生は超人的な体力の持ち主でしたので、昼間は大学の講義や会議、診療をこなし、夜は本や論文を読み、原稿を書き、弟子たちの論文や原稿をチェックすると言う毎日で、休むことは殆どなく、平均睡眠時間は2~3時間、文字通り不眠不休の毎日を過ごされてらっしゃいました。

僅かな睡眠時間であっても、寝ている間にも思考しているのではないかと思うほど、常に何かを思考し、頭はフル回転しているのです。
時おり弟子たちが自分の研究内容について報告している間も、うとうとと居眠りをされているのですが、報告が終わるや否やさっと口を開き、論点の矛盾や稚拙さを即座に指摘して、あっと言う間に内容を推敲していく様は「え・・・? 寝ながら聞いてた・・・?」と思うほど鋭いもので、本当にマジックを見ている様でした。
そのマジックを間近に見るのが楽しくて、弟子たちは師の背中を追い続けた様に思います。

超人的な体力と知力の持ち主でしたので、弟子たちは皆、小此木先生は不死身なのだ、衰えることなど無いのだ、と幻想していました。
時折冗談で、弟子たち同士、自分が死んだら弔辞は小此木先生に読んでもらいたいと半ば本気で言い合っていたことがありましたが、数十歳も年の若い弟子の弔辞を師が読むということは、通常はあり得ないことですが、そう思わせるほど小此木先生の知力・体力は超人的なものでした。

2001年の夏、ニースの国際精神分析学会において、「阿闍世コンプレクス」に関するシンポジウムを主催され、罪悪感に関する仏教的な解釈を提示されました。
これは小此木先生の恩師である古澤平作先生がフロイトに提出した論文「阿闍世コンプレクス・2種の罪悪感」を推敲・発展させたもので、フロイトは残念ながら古澤オリジナル論文を余り評価しなかった様ですが、殆ど評価されることなく忘れ去られていた論文を、100年近い時を経て、小此木先生が加筆修正し、世界に向け問い直した、言わば、小此木先生の恩師・古澤平作先生に贈るレクイエムとも言えるシンポジウムでした。

講演を聞いた海外の研究者たちは、深く心を揺さぶられた様で、小此木先生の発表原稿のコピーは聴衆の誰もが欲しがったので、私が用意しておいたコピーは、あっと言う間になくなってしまいました。

結果的にこのシンポジウムは小此木先生が国際的な舞台に立たれた最後となりましたが、その時点では、これが最後になるなど、誰も夢にも思っていません。
小此木先生自身、想像すらしていらっしゃらなかったことでしょう。

ニースの国際精神分析学会に出席した後、パリでフランス国営テレビのインタビューが予定されていました。

それまでにも何度か小此木先生のテレビの収録に立ち会ったことがありましたがプロデューサーが「はい、ではこれから○○について3分間話して下さい」というと、誰も時計を見ながら指示など出していないにも関わらず、見事に3分、ほぼ狂い無く、話されるのです。しかも言い間違いもなく、よどみなく正確に3分話され、撮り直しをすることは殆どありませんでした。
やり直しが無いので、収録はあっという間に終わってしまうのです。
これもマジックを見ている様でした。

ところが、この時ばかりはいつもと違っていました。
3時間に及ぶインタビューの後、小此木先生は本当にぐったりと疲れてしまい、予約していたチュイルリー公園の中にあるお気に入りの二つ星レストランもキャンセルしてくれと言います。
こんなことは始めてでした・・・。

小此木先生に師事した弟子は数百人いたかもしれません。
講義を聞いたことがあると言う人は、数千人、数万人になるでしょう。

弟子たちの中でも、強く薫陶を受けた弟子たち20名程を、小此木ブラザーズ、小此木シスターズと呼んで、小此木先生は我が息子、娘の様に大切にされていました。

ニースの国際精神分析学会にも、小此木ブラザーズ、シスターズのうち、何人かが一緒に参加していましたが、大きな会議が開かれている期間中、昼間の会議の後、夜は小此木先生を囲んで皆で夕食を取りながら、1日のデイスカッションについて振り返り、議論し、批判しあうことは、会議とはまた趣の異なる刺激に満ちた、楽しい時間でした。

小此木先生の新しい着想を話して聞かせて下さることもあれば弟子たちに議論をさせておいて、先生御自身は黙って満足そうに微笑みながら時折「ふふっ」と笑いながら、聞いていらっしゃるだけのこともありました。

今思い返すと、それはとても貴重な時間でした。
その時は、「今私は稀有な貴重な時間を経験している」とは、夢にも思っていません。
過ぎ去って初めて、その意味が分る、珠玉の時間でした。

今でも時々、小此木ブラザーズ、シスターズにお会いしますし、晩年の小此木先生が特に目をかけてくださった小此木啓吾先生の学問上の娘たち、小此木シスターズ数名とは、姉妹同然ですので、定期的に会って食事をします。
一緒に勉強を始めた頃はまだ女子学生の趣を残す駆け出しでしたが、いつの間にか皆偉くなり、難関大学の教授になっています。

誰かが困った問題に直面すれば、無報酬で、全力でサポートしようという不文律は今も生きています。
誰かが持ち出す課題について、有意義な学問的なディスカッションをすることもあります。

でもそこに小此木先生がいないと、あの珠玉の議論は立ちあがってこないのです。
小此木先生以外のメンバーは同じなのに…。皆それぞれに才能ある俊英なのに…。
小此木啓吾という知の巨人が不在なだけなのではなく、そこから醸し出されていたオーラ、臨床的ひらめき、学問的雰囲気、先生の存在によって賦活されていた知・・・
そういったもの全てを、私たちは失ったのです。

フランスから帰国して間もなく、小此木先生は検査を受けられ、下咽頭に腫瘍がみつかり、一通りの仕事を終えられた後、闘病生活に入られました。

入院されて1カ月ほどたった頃、「木曜日の3時に病室へ来るように」と電話があり、言われた通りに訪ねて行くと、「君に最後に教えておきたいことがある」と、早速その日から、病床でのスーパーヴィジョンが再開されました。
毎週木曜日の3時、小此木先生の病床を訪ね、臨床のアドバイスを貰うのです。
これが小此木先生との最後の日々となりました。

小此木先生は、どんな思いでご自分に残された最後の時間を弟子たちに分け与えていたのでしょう・・・。
今となっては、師の胸中は想像するしかありませんが、残された限られた時間の中で一人ひとりの弟子に最後に何を伝えるべきか、考えていらしたのでしょう。

今でも時々、木曜日の3時になると、一人椅子に座って、ぼんやりと病床でのスーパーヴィジョンを思い返してみます。

ある時、小此木ブラザーズの一人にその話をしたら「僕は月曜日の1時だった」と・・・。彼もまた、月曜日の1時になると、仕事の手を休め、一人ふと感慨にふけることがある・・・とつぶやいていました。
それは彼にとっても、大切な自分だけの時間なのでしょう。

小此木先生が亡くなって数年、先生の不在と、失ったものの大きさを改めて噛みしめています。

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