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必要のない処方?

[2015.12.16]

ここ10年程の医薬品の開発は、目覚ましいものがあります。
今まで治療困難だった患者さんの症状が改善できるようになったことは、非常に大きな福音です。

薬が必要な病態にある患者さんは、症状の改善に必要な充分な量を服用し、症状が改善した後もその安定を維持するためには長期間服用し続けることで症状の悪化、再発を防いでいきます。
薬の減量はとても難しいので、医師と相談しながら行って下さい。
決して自己判断で薬をやめないで下さい。

一方問題なのは、新薬の開発には数百億円の研究開発費が先行投資されていますので製薬メーカーは投資分を回収する為には、マーケットを拡大する必要があり、薬の対象疾患の幅を広げられないかと、様々な「エビデンス(医学的根拠)」を用意します。

「先生のご処方のお役に立てればと思いまして、今日は特別な情報をお持ちしました」「この薬は他の薬に比べてこんなに優れています、ほら、このグラフを見て下さい」さすがに「この薬を使えば、たちどころに病気は良くなりますよ」とは言わないまでも、まるで童話の「裸の王様」に見えない洋服を売ろうとする仕立て屋みたいだな・・・と思うこともあります。

新薬開発の素晴らしさは言うまでもないことですし、多くの患者さんがその恩恵にあずかっているのですが、必要のない患者さんにまで安易に処方することは問題です。

病気の治療を薬だけに頼ろうとすると、多剤併用になりがちで、この症状にはこの薬、あの症状にはあの薬、としているうちに、どんどん薬が増えてしまうことがあります。

判断を診断基準に依拠し、表に現れた症状だけで診断する医師が増えたことも、多剤併用になりやすい原因の一つと言えるかも知れません。

表に現れた症状は、言わば病のまとう衣服の様なもの、症状だけを見ていては、正しい診断も治療も出来ないと、私は考えています。

例えば「過食嘔吐」を例にとるなら、その病態は様々で、統合失調症によるものから、一時的な不適応によるものまで、「病態水準」は様々です。

「過食嘔吐」という衣服をまとっていても、その身体に相当する病気の本体は統合失調症にあるのか、スキゾイド・パーソナリテイにあるのか、自己愛パーソナリテイにあるのか、あるいはそのいずれでもないのか、病態水準を見て、症状をダイナミックに理解していかなければ、正しい判断は出来ません。

でも、残念なことに、このダイナミックな理解を持つ医師は、極めて少数です。

例えばパニック障害は夜間就寝中にも起こる疾患である、という専門家がいます。
しかしパニック障害とは、アゴラフォビアの関連疾患であり、群衆の中における孤独、と言ったものが発症の契機に存在するはずだ・・・と私は考えていますので、就寝中に起こるパニック発作は、別の誘因で起こることが多いはずだと考えています。

みゆきクリニックにも、他院から転院してきた患者さんで、パニック障害の診断で長年SSRIを服用していらした患者さんがいました。
しかしながら、よくよく話を聞いてみるとその患者さんはパニック障害なのではなく、就寝中に低血糖を起こしていたのです。
パニック障害の症状と、低血糖発作の症状は、よく似ています。

動悸がする、息苦しくなる、突然起こる発作、という表に現れた症状だけで診断をしようとすると、パニック障害の症状と低血糖発作の症状はよく似ていますので、間違えやすいのです。

どういう状況で症状が起こるのか、その人の日常や人生の背景等の文脈の中で判断していけば、大きく間違うことはないのですが、ダイナミックな見方は、急速に
医療の世界から、消え去ろうとしています。
とても残念なことです。

かつて土居健朗先生が、学生運動のさなか東京大学精神科教授だった頃に、「精神分析などというプチブル的な学問が、果たして患者の役に立つのか!」
と詰め寄る学生たちに「患者に必要なんじゃない、医者に必要なんだ!」と言って、学生たちを一喝した、と言う逸話が残っています。

精神科医にとって、精神分析的・力動論ほど有用な診断・臨床技術はないと思うのですが、残念ながら、この重厚長大な学問を学ぼうとする若い医師は、
殆どいなくなってしまいました。
手軽さが優先される現代では、難解で扱いに手こずる重厚長大な学問は、好まれないのでしょう。とても残念なことです。

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