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ポーランド

[2015.11.29]

私の尊敬する映画監督に、アンジェイ・ワイダ というポーランドの映画監督がいます。
2010年5月、世界各国から1国1アーテイストが招かれて、大きなイベントがモスクワ国立劇場で開催され、ポーランドからはアンジェイ・ワイダ氏が招待されていると聞いて、是非一目ワイダ氏に会いたいと思い、連れて行ってもらいました。
日本からは前衛ダンサーの田中泯氏が招待されていました。

その1か月前の2010年4月、カティンで行われる予定だった追悼式に参列する為、ポーランドの大統領を含む政府要人90数名が乗った大統領専用機がロシア領のカティン近くで着陸に失敗し炎上、ポーランドの政府要人の殆どが死亡するという痛ましい事故が起こったばかりでした。 

ワイダ氏は、「カティンの森」という、おそらく氏の最後の作品となる映画を発表したところでした。これはワイダ氏が50年に及ぶ構想を経て制作した、実話に基づいた、渾身の、鎮魂の作品です。

映画「カティンの森」は、ロシアによるポーランド侵攻を描いたもので、主人公であるポーランド将校のモデルはワイダ氏の実の父親で、彼の父はカティンの森で虐殺されたポーランド将校の一人だったのです。
非常に深刻で衝撃的な内容ですが、内容は事実に基づいており、ポーランドでは軍人、知識人、学者、芸術家は、大変な弾圧を受けたのです。

モスクワへ発つ前に、映画「カティンの森」を見に行きましたが、非常に後味の悪い映画で、気分が悪くなるほどで、ポーランドが、国の礎となるべき知識人や教育者、芸術家、軍人を、ことごとく排除された圧倒的な悲劇に、言葉もありませんでした。

ワイダ氏は、大統領専用機墜落事故の後、モスクワ国立劇場でのイベントに、這ってでも行く、と言っていたそうです。
ポーランド人として、モスクワの地で、戦争について、祖国ポーランドについて、そしてカティンの森について、何を語るのか、あるいは何を語らないのか、その場に居て、自分の耳で、聞いてみたいと、心から願っていました。

しかしながら、直前になって高齢を理由にモスクワ訪問を断念され、お会いすることは叶いませんでした。

長年ワイダ氏の映画を一緒に制作してきたという助監督の方と少しだけ話をすることが出来ましたが、ワイダ氏の健康状態がどうなのか、はっきりしたことは分からないままでした。

往年の名女優、ヴァネッサ・レッドグレープやジャンヌ・モローも、高齢を理由に、直前になってモスクワ訪問を断念されていました。

2010年5月は対ドイツ戦勝65周年を記念してロシア各地で様々なイベントが行われており、その一環として開催されたイベントだったのですが、丁度5月6日の戦勝記念日に向けて、軍事パレードの予行演習が行われており、泊まっていたホテルの窓からその様子を見ることが出来ました。

街の中を数十台の戦車、装甲車が行進し、その後には銃を構えた何万人もの歩兵が続き、空には数百機ものジェット戦闘機がフォーメーションを形作って低空飛行をし、内外に向け強大な軍事力を誇示する様は、平和ボケ日本人にはかなり衝撃でした。

日本は今、震災で各国から援助を受ける立場になっていますが、国際関係は常に多義的であり、表面だけで評価出来るほど単純ではないことを、島国で安全だった日本も、次第に地政学的には不利な位置になりつつあることを、それは地震だけではないことを、肝に銘じておく必要があるのでしょう。

ポーランド人は余りに義を重んじ、誇り高く、上品すぎた、きっと相手も自分と同じように良識に従って行動してくれるだろう、と期待して、性善説に従って国際政治を判断したことがポーランドの悲劇の始まりだったと、ワイダ氏は映画「カティンの森」で訴えているように思えるのです。

ポーランドの生んだ作曲家、ショパンの美しい旋律の背後にはつねに哀しみが付きまといますが、モーツアルトのような、あたかも天上の音楽のように限りなく美しい音楽やワーグナーのように、あくまでも重厚で力強い音楽に比べ、ショパンの音楽にはポーランド人としての祖国を蹂躙された悲しみが、その根底に絶えず流れているのでしょう。

ポーランドの想像を絶する悲しみの代償として、ショパンの音楽があるとしたら、どれほどショパンの音楽が素晴らしいとしても、その代償はあまりに大き過ぎます・・・。

英雄ポロネーズ、哀悼の色彩はあるものの、この力強いポロネーズは、悲しみを乗り越えていこうとするショパンの強い意思が感じられて、私のもっとも好きな楽曲のひとつです。

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