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誇り高き貧者 F子さん

[2015.08.05]

F子さんもまた明治生まれの、戦争未亡人の女性でした。
若くして夫を亡くし、清掃や道路工事などの仕事をしながら、女手一つで二人の子供を育てあげ、老年期に入ってうつ病となり、主治医の内科医から紹介されて、私のところへいらっしゃいました。

彼女は学歴から言えば小学校を出ただけでしたが、いつもユーモアに富み、冗談を言っては笑わせてくれる、知的でチャーミングなおばあさんでした。

F子さんは小さなアパートで一人暮らしを続けていましたが、息子さんは優秀な成績で某国立大学を卒業し、老舗企業に就職され重役となり、娘さんは、「シンデレラの様な結婚をした」とF子さんは表現していましたが、非常に立派な家庭に嫁いでおられました。

時々、子供たちが孫を連れてF子さんを訪ねてくることを心待ちにされていましたが、御自分からは決して子どもたちの家を訪ねていくことはなさいませんでした。
「だってね、こんな母親がいたら、子供たちが恥ずかしいじゃない?」と、自分と子どもたちとは既に住む世界が違うのだと、達観していらっしゃるのでした。

うつ病が悪化すると、起き上がることも出来ないほど悪くなるのですが、当時は介護保険も何もなかったのですが、同じアパートに住む高齢者同士が助け合って暮らしていて、F子さんに食事を届けてくれたり、通院も出来ない状態の時には、同じアパートのお年寄りが代わりに薬を取りに来てくれて、治療が中断することはありませんでした。

何度かの危機的な状況はありましたが、そのたびにF子さんは見事に乗り越えて、回復すると再び自力での通院を再開してくれました。

「F子さんが通院出来るようになることはもう無いかもしれない…」
「今度ばかりはもう駄目かもしれない…」
と何度か内心ではそう思い、F子さんのアパートを訪ねてみようか…
等と考えていると、F子さんは見事に私の心配を裏切り「せんせー、また来たよー」と、病んで皺くちゃになった顔に何とか笑顔を作ろうとしながら通院を再開してくれるのです。こういう再会は、医師にとっても本当に嬉しいものです。

F子さんは最後まで一人暮らしを続け、子どもたちの世話になることはありませんでした。

F子さんはいつの間にか来院されなくなっていて、最後にお会いしたのがいつだったか…
何度も回復してくれたF子さんでしたので、また回復してくれるかな…
と願っていましたが、最後は力尽きたのでしょう…。
出来るならF子さんのご葬儀には参列させて頂きたかったな…と今でも時々思い出します。
学歴もなく経済的には貧しい人生でしたが、見事な生き様でした。
明治の女性の潔さを教えてくれた方でした。

医師は患者さんから多くを学びながら、一人前の医師となります。
医師を育ててくれる患者さんがどういう人かと言うと、それはその人の経済力や学歴や社会的地位等とは、関係のないもののように思います。
その人の人となり、病を得てそれと如何に向き合うか、それを支える家族や友人たち、そういったものの全てが医師の先生となるのです。

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