西園昌久先生のご冥福をお祈り申し上げます
福岡大学名誉教授の、西園昌久先生が2022年4月19日、93歳でお亡くなりになられました。
西園先生は、古澤平作先生のもとで精神分析を学び、
小此木啓吾先生と一緒に日本の精神分析の草創期を築いた先生でした。
(古澤平作先生は、1900年代初頭、精神分析の草創期にウイーンに留学し、
フロイトの教えを直接受けられて帰国し、日本に精神分析の基礎を築かれた先生で、
小此木先生、西園先生の師匠にあたります)
古澤平作先生から、
西園先生は「精神医学中で精神分析を伝えて行きなさい」
小此木先生は「社会の中に精神分析を伝えて行きなさい」
とそれぞれミッションを受け、その通りになさったのでした。
東京の小此木学派、九州の西園学派と言われ、かつては学会で激しい論争が繰り広げられていた時代があり、
始めて精神分析学会に出席した大学を出たばかりの当時の私は、何を論争しているのかすら分からず、「何コレ?宇宙語?」とか思って聞いていたものでした。
ライバル関係にあったお二人でしたが、小此木先生も西園先生も、お二人とも、
精神分析を何とかして日本に根付かせたいという熱意でもって、お互いを心から尊敬しあっていたように思います。
日本の精神分析協会が危機に瀕したときは、お二人力を合わせて、危機を乗り越えられました。
御二人の尽力がなければ、難しい局面だったと思います。
国際学会に小此木先生が出席なさる度に、私も同行させて頂いていましたが、
同じ国際学会に必ず西園先生もお越しになっていて、何度も海外をご一緒させて頂きました。
みゆきクリニックを千駄ヶ谷に開設したときには、オープニングに駆けつけて下さいました。
今思うと、みゆきクリニックのオープニングには、東大精神科教授でいらした土井健朗先生、
西園昌久先生、九州大学名誉教授の北山修先生始め、蒼々たる大御所たちが来て下さり、
励まして下さいました。
準備に追われていたこともあり、まだ若かった私は、その凄さがよく分かっていませんでしたが、
本当に有り難く、名誉なことでした。
その時の写真がどこかにあるはずなのですが、貴重なお宝写真、見つけることができませんでした。
当時は、小此木先生も西園先生もお元気でいらして、日本の精神分析学会だけではなく、
精神医学会全体に影響力を持っていらして、医学の世界に、精神分析が生ていた時代です。
日本の医学部から、精神分析の分かる人が一人去り、二人減り・・・
今ではゼロになってしまいました。
そして、日本の精神分析の草創期を支えた西園先生がお亡くなりになり
一つの時代が幕を閉じました。
西園先生は、理論家であると同時に臨床家でもありました。
この二つを両立することは、実は容易な事ではありません。
ジェンダーの問題に敏感な現代ではNGワードかもしれませんが
男気のある方という印象を持っていました。
お酒をお召しになると「俺は九州男児よ」「おう、そうよ」と笑っておられました。
一般に連想される男尊女卑的な態度を示しているのではないということは
素晴らしい精神医学者に成長されたお嬢様を見ていれば明らかです。
西園先生、長い間、お疲れ様でした。
直接、ご指導頂くことはありませんでしたが、
先生とご一緒する学会はとても楽しい知的な刺激に満ちていました。
オットー・カーンバーグと西園先生の並んだスピーチは、日本の精神分析のひとつの金字塔です。
様々な貴重な場面をご一緒させて頂き、ありがとうございました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。