漏斗胸
生まれつき胸の骨が凹んでいる人がいますが、これを「漏斗胸」と言います。
生まれつきのもので病気ではないのですが、凹んだ胸骨が心臓や肺を圧迫することや、
美容的な意味合いもあり、陥没が目立つ場合には手術をします。
手術は大きく分けて、2つあります。
一つは凹んでいる胸骨の骨そのものを削って、凹みを治す方法。
これは、胸腔を開いて、胸骨とろっ骨を切り離して骨を削り、
再び骨をつなげる、という方法で、胸腔を開くのですからそれなりにリスクもあり、
手術をする医師の技術も問われることになり、熟練の技術者の少ないのが現状です。
もう一つは、胸骨の下にU字型の棒状の金属板を差し込んで、凹んだ骨を金属板で持ち
あげ、数年間金属板を留置して胸腔の形を修正し、数年後に板を取り外す、
という方法です。歯科の矯正のようなイメージで考えて頂くと分りやすいでしょうか。
考案者のNuss先生にちなんで、Nuss法と呼ばれています。
胸腔を開かずに内視鏡的に手術が出来るという利点と、
手術の手技が比較的簡単で、熟練の技術者でなくても手術が出来るという利点もあり、
現在では漏斗胸の手術は殆どがこのNuss法が採用されています。
手術となれば、誰だって可能な限り侵襲の少ない手術を選びたい、
まして漏斗胸の手術は子どもの頃に受けることが多いので、
自分の子どもには侵襲の少ない手術を受けさせたい、というのが親心でしょう。
Nuss法は、確かに侵襲の少ない手術なのですが、子どもの発達、
という観点からすると、精神科医として懸念することがあります。
胸一杯に、空気を吸い込んでみて下さい。
胸腔は、呼吸によって、絶えず動いています。
この胸腔の自由さを、金属の板で制限してしまったら・・・?
子どもにとって、身体の感覚はとても大切で、身体に寄り添いながら心が発達します。
この身体感覚が、息苦しさを感じさせるものだとしたら、
子どもの心にどんな影響があるでしょう・・・?
数年間にわたり、胸腔に金属の板を入れておくわけですから、
もし板がずれたりしたら・・・?
肺や心臓に突き刺さったりしない・・・?
極めて稀なことですが、金属板のずれによる肺損傷や死亡例の報告が無い訳ではないので
常に金属板のずれを気にして生活することになります。
転んで板がずれたら大変、転んじゃいけない、走っちゃいけない、飛んではいけない・・・
活発な子供時代を、運動制限をさせて過ごさせることになります。
術後も、出来るだけ子どもには運動をさせる方向に向かいつつあるとはいえ、
健康な子供の様な訳にはいきません。どうしても制限をかけることになります。
公園で遊んでいたら、パパの姿が見えたとします。
「あっ、パパだ!」子どもは嬉しくてパパの方へ向かって走りだそうとします。
走ってパパに近寄って、抱きついたら、高い高いしてくれるかな・・・。
ところがパパはさっと顔色を変え、怖い顔になって「走っちゃいけない!」と叫びます・・・。
パパに走り寄ろうとしていた子どもは、急ブレーキをかけて走ろうとするのを辞め、
同時に心にも急ブレーキがかかってしまいます。
「パパに抱っこしてほしかったのに・・・」
「パパに抱っこしてほしいなんて、思っちゃいけないんだ・・・」
子どもには、金属板が入っているから急に走り出してはいけないと言い聞かせてあったとしても、
その時は「分った、走らないようにするよ」と理解したとしても、
何かをしたい!(この場合はパパに抱っこしてほしい)という内発的なエネルギーは
パパの怖い顔で急激にしぼんでしまうことになり、
パパは子どもの安全を心配してのことなので、パパの態度には何ら問題はないのですが、
結果的に子どもの内発性、自発性はしぼんでしまうことになりかねません。
大人の患者さんの中に、
子どもの頃から身体が弱く病気がちで、あれをしちゃいけない、これをしちゃいけない、
と言われて育ったという患者さんに時々出会います。
彼等は、常に起こってもいないことをあれこれ心配して、不安になって、
「大変なことになる!」と常に先回りし、心配してばかりして、結局自発的なことを何もできずにいます。
子どもの内発的なエネルギーは、大人になって取り戻せるものではありません。
Nuss法は、確かに手術そのものの侵襲は少ないのですが、
数年間に渡って子どもの心と身体の発達に様々な影響を与えるかもしれないことを考慮すべきです。