数十年後のグランシェフ
フランスで、1968年から50年近く三ツ星を維持しているレストランT。
フランスのリヨン近郊の小さな町にあるレストランTを初めて訪れた時のこと…。
挨拶にテーブルを廻ってきた給仕長に、何気なく話題作りの挨拶のつもりで
「このお料理のソース、隠し味に生姜を使っているのね」と話しかけました。
給仕長「いいえマダム、生姜は使っておりません」
「あら、そんなことないわ、使っているでしょう」
「いいえ、使っておりません」
「いいえ、使っているはずよ。厨房へ行って聞いてきて」
給仕長は、しょうがない客だなあという顔をしながらも、律儀に厨房へ聞きに行ってくれました。
こういうところはさすが三ツ星です。暫くして戻ってきたくだんの給仕長・・・
「大変失礼致しましたマダム。生姜をほんの少しだけ、使っておりました・・・」
翌朝、チェックアウトをしようとしているところへ、レストランTのオーナーシェフであるミシェルと、彼の父親であり引退してはいるけれども伝説の料理人として名高いピエールが、息せき切って走ってフロントへやって来ました。
「昨夜御挨拶をと思いましたが、夜遅かったので控えさせて頂きました。レストランTには世界中から食通のお客様がいらっしゃいますが、隠し味に生姜を使っていることは、サービススタッフですら知らないことで、一部の料理人しか知りません。それを見抜いたのはマダムハナワだけです」と・・・。
ミシェルはその年の9月に仕事で来日することが決まっており、日本での再会を約束し、フランス料理界の二人の巨匠ミシェルとピエールの直々の丁重なお見送りを受けて、レストランTを後にしました。
そして9月、東京での仕事を終えたミシェルと、当時中学生だった御子息のS君を京都に御案内することになり、現代日本料理の最高峰の一人と言える料理人、佐々木浩氏の祇園さ木へ御案内しました。
料理人にとって、世界的に名の知れた料理人を客に迎えると言うことは大変なプレッシャーだったと思いますが、佐々木浩氏は見事に期待に応えてくれました。
S君は、反抗期真っ盛りの男の子、という感じで、大人の中に混じって一人ふてくされています。
「あなたも料理人になるの?」と聞こうものなら、
「けっ、そんな話はしないでくれ」と不機嫌なことこの上ない・・・。
私は精神分析を志向する精神科医、名門と言われる一族に生まれた思春期の男の子の悩みや葛藤が手に取るように分かりましたので、即席で集中カウンセリングをすることにしました。
「そうね、あなたのお父さんも、お祖父さんも、大伯父さんも、皆偉大なる料理人としてとても有名だし、レジオンドヌール勲章まで受けていらっしゃる。そういう一族に生まれて、大変なプレッシャーよね。よく分るわ。でも、あなたは小さい頃からお父さんやお祖父さんや大伯父さんの仕事を見て育った、そこから知らないうちに自然に身に付いているものには計り知れない価値があるのよ。あなたは今はそれを何の意味もないものの様に感じているかもしれないけど、それは誰もが望んで得られるものではない、とても貴重なものなの。その力を信じなさい。いつかあなたが料理人になったら、あなたが料理人になったとしたらだけど、そうしたらいつかその価値が分るようになるわ。」
同席していた優秀なフランス語の同時通訳者が、私の言葉を一つひとつ丁寧にS君に伝えてくれて、
S君はじっと下を向いて、私の話を聞き入っています。
「それにね、内緒だけど、あなたのお父さんも、最初はあなたと同じようにとても悩みながら料理人になったんだと思うわ。だってお祖父さんや大伯父さんは歴史に残るような大料理人よ。お父さんだって、ピエールTの息子と言うプレッシャーに押しつぶされそうになりながら料理人の道を選んで、今の地位を築いてきたのよ。最初から自信があった訳じゃない。
嘘だと思うなら、お父さんに聞いてごらんなさい。」
S君は信じられない…という表情をしながら傍らの父親を恐る恐る見上げ、
小声で「・・・そうなの・・・?」
屈託なく豪快に笑いながら、ミシェル「そうだよ」
先ほどまでのふてくされた態度は消え、S君はじっと考え込んでいるようでした。
その後S君は中学卒業と同時に料理学校へ進み、人が変わった様に料理人修業に励んでいるとの嬉しい報告を頂きました。
5年後、ハンサムな青年に成長したS君に再会しました。
「私のこと、覚えている?」 と聞いてみたら、
「もちろんだよ、一緒に京都へ行ったじゃないか」
と少しはにかんで、嬉しそうに答えてくれた姿が今も印象に残っています。
数十年後、いつかS君がレストランTのオーナーシェフとなった日に、再びレストランTを訪れ、S君の料理を堪能する日が来ることを、今から密かに楽しみにしています。