後藤健二さんの自己責任論について思うこと
幼いころの、ある日のことです。
両親は子供たちにテーブルマナーを身に着けさせるため、幼い子供を同席させても周囲に気兼ねなく食事が出来るよう、レストランの個室を予約して、食事に連れだしてくれていました。
といっても、当時は今ほど街中にレストランが多くなかったので、殆どがホテルのレストランです。その日もホテルオークラで食事をし、食事の後、ホテルから少し歩いて、外苑東通りを飯倉方面に向かって歩いていました。
突然、外苑東通りを装甲車が何十台も連なって疾走していくではありませんか!
しかも、猛スピードで走る先頭の装甲車の屋根上に、仁王立ちしたまま微動だにしない戦闘服姿の男性の姿を、しかと見たのです!
そんな物理的に不可能に思えることが可能なのかどうか、今でも不思議に思いますが、確かに見たのです。
通行人は余りに突然のことに、恐怖に固まり、先に歩を進めることも出来ず、皆その場に立ちすくんでいました。
しばらくすると誰かが、一部の自衛隊員がアメリカ大使館に突入したらしい、と教えてくれました。
これが単なる風評の類なのか、どこまで正しい情報なのか確かめる術はありませんが、平和国家において、一般道の街中を装甲車が走るということ自体、異常なことです。
私たちがたった今歩いてきたホテルオークラやアメリカ大使館に通じる道は封鎖されていました。
戦後日本における第二の2.26事件だったと言っても良いでしょう。
いったいこれからどうなるのだろうと不安に思いながら、両親が明日の新聞の一面トップニュースはこれだろう、テレビも大騒ぎになっているだろう、と話していました。
しかし、私が本当に驚いたのは、翌朝になってからです。
昨日の出来事が、どの新聞にも、まったく、一行も報道されていなかったのです。
どの新聞にも、どのテレビニュースにも、何も一切報道されませんでした。
今の様にソーシャルメディアの何もない時代です。
この事件は世間に知られることなく葬り去られていきました。
しばらくして、某新聞に「ジャーナリズムよ、勇気を持て」という社説が掲載されました。幼かった私はその内容がどういうものだったのか分かりませんが、あの事件が全く報道されなかったことを指しているのではないか、と両親が話していました。
三島由紀夫事件が起こったのは、それから数か月後のことです。
私は今でも、装甲車の一件と三島由紀夫事件は無関係ではないと思っていますが、どのような関連があるのかはわからないままです。
私は、幼いながらに、新聞やテレビ、ニュースは、常に本当のことを伝えるとは限らないのだ、ということを、身をもって知ったのです。
国益を守る為に、あえて表に出したくない出来事や情報があるのは当然で、ある意味でやむを得ない面もあるかと思いますが、しかし、情報が選別され、フィルターをかけられて伝えられていることは、時に個人個人の判断も操作されてしまうことを考えておかなければなりません。
冷戦が崩壊した後の世界は、平和に向かうどころか、暴力の連鎖を呼び、世界中に暴力と破壊が広まろうとしています。
私たちの思考は、良いもの、悪いもののどちらかに分けてすっきりしたがるという二分法の思考パターンを好みますので、様々なものごとを、自分たちは良いもの、相手は悪いもの、という二つに分けて矛盾を排し、気持ちを落ち着かせようとします。
矛盾を内に抱えるということは、すっきりしないし、落ち着かないので、きわめて大人の対応が必要となるのですが、そんな苦しいことをするより、二つに分けて自分は良い方に属すると思いこんでいる方が簡単だし楽なのです。
二分法の思考は、矛盾に向き合いながらも道筋を見出し調整しようとする試みを排し、正しいものである自分たちを守る為には、武力もやむを得ないと、安易に暴力装置が正当化されてしまうというトラップがあることを、考えておかなければなりません。
後藤健二さんは、テレビや新聞が伝えようとしない、そこで起こっている紛争地の日常の本当の出来事を、当事者意識をもって、勇気をもって伝えようとしていた稀有なジャーナリストです。
これほど素晴らしい日本人がいたことを日本人は誇りに思うべきではないでしょうか。
後藤健二さんのことを、自己責任論で非難する人も多いと聞きます。
後藤健二さんは、私たちの知ることの出来ない世界に目を開かせようと、文字通り命がけで行動した人です。彼の様な人が、そこで起こっている事実を伝えてくれなければ、限られた情報ソースしか持たない私たちは、簡単に二分法の罠に落ちてしまうのです。
このブログでは、政治と宗教のことは書かないことに決めていましたが、
後藤健二さんのことを非難する人がいると聞いて、書かずにはいられませんでした。
勇気あるジャーナリストがいなければ、正確な事実を反映した情報ソースを持たない一般人は、簡単に操作されてしまうのです。
現に安倍総理は、後藤健二さんの一件を、自衛隊の紛争地への派遣を正当化することに論理を誘導し、利用しようとしています。何も疑問を感じない二分法の耳で聞いていると、ああ、そうだ、邦人救出、いいね、そういう時こそ自衛隊に頑張って貰いたいね、と安易に思わされてしまうのです。
後藤健二さんの貴い勇気ある行動が、安倍政権のプロパガンダに利用されようとしているのです。
しかし、それこそ平和と子供たちを愛した後藤健二さんの、最も望まないことなのではないでしょうか。
邦人救出はもちろん大切なことです。ぜひやって頂きたいと切に願います。
しかし日本のような小国は、暴力に対して武力で対抗するようなアメリカ式の報復的な対応は向いていないのです。
情報戦やネゴシエーションで解決の道を探る頭脳戦の道しか、ないのではないでしょうか。
真実を知ろうとすることは勇気のいることです。
それを伝えようとすることは、計り知れない勇気のいることです。
後藤健二さんに続くジャーナリストが、日本から輩出され続けることを切に願い、
同様の事件が起こった時に安易な自己責任論で思考を停止させることのない、
寛容な日本人が増えてくれることを願い、
後藤健二さんの勇気に心からの賞賛を送りたいと思います。
後藤さんに生きて帰って、後藤さんが見てきたもの、感じたものを、
語って頂きたかった・・・・・・残念です。
そして愛する人を失い、丁重に埋葬することすら叶わない
後藤さんのご家族、親しかった方々のご心痛、ご無念を思い、
皆様に心からのお悔やみを申し上げます。
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