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誇り高き貧者 F子さん

[2024.10.04]

私が多くを学んだ患者さん、F子さんもまた、明治生まれの、戦争未亡人の女性でした。


若くして夫を亡くし、ヨイトマケの歌そのままの、清掃や道路工事などの仕事をしながら、
女手一つで二人の子供を育てあげ、


老年期に入ってうつ病となり、主治医の内科医から紹介されて、私が精神科の主治医となったのでした。

彼女は学歴から言えば小学校を出ただけでしたが、
いつもユーモアに富み、冗談を言っては笑わせてくれる、知的でチャーミングなおばあさんでした。

F子さんは小さなアパートで一人暮らしを続けていましたが、
息子さんは優秀な成績で某国立大学を卒業し、某一流老舗企業に就職され重役となり、
娘さんは、「シンデレラの様な結婚をした」とF子さんは表現していましたが、非常に立派な家庭に嫁いでおられました。

時々、子供たちが孫を連れてF子さんを訪ねてくることを心待ちにされていましたが、
御自分からは決して子どもたちの家を訪ねていくことは、決してなさいませんでした。


「だってね、こんな母親がいたら、子供たちが恥ずかしいじゃなあい?」
と、自分と子どもたちとは既に住む世界が違うのだと、達観していらっしゃるのでした。

うつ病が悪化すると、起き上がることも出来ないほど悪くなるのですが、当時は介護保険も何もなかったのですが、
同じアパートに住む高齢者同士が助け合って暮らしていて、F子さんに食事を届けてくれたり、
通院も出来ない状態の時には、同じアパートのお年寄りが代わりに薬を取りに来てくれて、
治療が中断することはありませんでした。

何度かの危機的な状況はありましたが、そのたびにF子さんは見事に乗り越えて、回復すると再び自力での通院を再開してくれました。

「F子さんが通院出来るようになることはもう無いかもしれない…」
「今度ばかりはもう駄目かもしれない…」


と何度か内心ではそう思い、F子さんのアパートを訪ねてみようか…等と考えていると、

F子さんは見事に私の心配を裏切り「せんせー、また来たよー」と、
病んで皺くちゃになった顔に何とか笑顔を作ろうとしながら、通院を再開してくれるのです。


こういう再会は、医師にとっても本当に嬉しいものです。

F子さんは最後まで一人暮らしを続け、子どもたちの世話になることはありませんでした。

F子さんはいつの間にか来院されなくなっていて、最後にお会いしたのがいつだったか…
何度も回復してくれたF子さんでしたので、また回復してくれるかな…
と願っていましたが、最後は力尽きたのでしょう…。


出来るならF子さんのご葬儀には参列させて頂きたかったな…と今でも時々思い出します。


学歴もなく貧しい人生でしたが、見事な生き様でした。
明治の女性の潔さを教えてくれた方でした。

医師は患者さんから多くを学びながら、一人前の医師となります。


医師を育ててくれる患者さんがどういう人かと言うと、それはその人の経済力や学歴や社会的地位等とは、
関係のないもののように思います。


その人の人となり、病を得てそれと如何に向き合うか、それを支える家族や友人たち、そういったものの全てが医師の先生となるのです。

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